ヤナーチェクのシンフォニエッタ

ジャナックじゃないよヤナーチェクだよ

こんにちは、音楽雑貨店プレリュード店長の藤岡です。
蒸し暑い日が続きますが、クーラー嫌いの私は窓全開で頑張っております。

さて、『1Q84』という小説の影響で、ヤナーチェクシンフォニエッタ、それもジョージ・セル指揮の録音が売れに売れているという噂を聞きました。私の愛聴版は、アンチェル指揮・チェコフィルなのですが、学生時代に初めて聴いたときは、「あ〜、ヤナーチェクっぽいかもー」と思い、遅刻魔返上の覚悟で毎朝目覚まし代わりに掛けていたら洗脳されてしまい、試験中に はかばかしく問題が解けないまま終了時間が近づくと突如頭の中で鳴り出したりして・・・焦りの感情を織り交ぜた曲として我が人生にインプットされています。

ヤナーチェクとの初の出会いは高校時代、リヒャルトシュトラウスの「13管楽器のための組曲」が聴いてみたくてLPを買い求め(※)、そのおまけ(?)でついていた木管アンサンブル(曲名なんだっけ??あとで調べます)を聴いたときでした。ロマン派くらいまでしか聴いたことがなかった私には、音も構成も斬新を通り越してかなり奇妙に感じて目が点になったのを覚えています。「いったいこの曲は何だろう?」ということで、音楽事典で調べようと思いきや、直輸入盤のLPなので日本語が無くJanáčekを「ジャナック」と読んでしまったため、調べても該当項目が無くて焦ったのでした。

でも聞き続けていくと、何故だかだんだん気持ちよくなりずんずん体に染み込んでいったのです。だから、シンフォニエッタやタラス・ブーリバを聴いたとき、その延長線上にあるように聴こえたのです。いま考えると、フサの「プラハ1968年のための音楽」も更にこの延長線上にあるようにも感じます。

そういえば、今では大好きなショスタコーヴィチプロコフィエフも、最初に聴いたことは奇妙さを感じたものでした。でも次第に作曲家の作風が判ってきて、知らない曲を聴いても「これって、○○の曲じゃない?」なんて当ててみるのが楽しかった時期もありました。齢を重ねて知っている曲が増えてくると、相対的に知らない曲が減ってきますから、こういった楽しみ方ができなくなっちゃうのは少し残念ですね。というかむしろ、年をとった今では、知っている曲なのに「嗚呼、この曲だれの何だったっけ??」と思い出せずに苦しむことが多くなりましたが・・・

初めて聴くときの楽しみ、聴き込んでからの楽しみ、いろいろな演奏を聞き比べる楽しみ、他の曲と比較したときの楽しみ、どれもクラシックの醍醐味だと思うのですが、きっといまヤナーチェクシンフォニエッタを買っている多くの人は、あまりクラシックに馴染みがない人が多いのではないかと思うのです。

だから、こういった新しい聴衆が、いろいろな先入観や、予備知識や、焦りの感情とか無しにこの曲を聴いたとき、どんな風に感じるのか、近現代的な何かを見いだして親しみを感じるのか、それとも難解に感じて疎遠になってしまうのか・・・等々かなり興味があります。

な〜んて考えていたら、どの曲も初めて聴くのは、人生に一度しかない機会なのだということに、今さら気づきました。
これから自分が初めて聴く曲との出会いも、大事にしていきたいと思います。

★★★

※ 当時はまだCDが出始めだったため、この曲はLP(おまけにモノラル録音の復刻版)しか出ていなかったのです。
よしっ、うちの店も便乗商法でひと儲け狙って、ヤナーチェクグッズに開発着手だぁ! 肖像彫刻入りボヘミアングラスとかですかねぇ。(嘘です)